2014年12月24日水曜日

ばばんばばんばんばん≒瞑想の境地?

突然ですが、昨日、久々に湯船に浸かりました。
ちなみに僕はいつもはシャワーで済ませる人です。キタナクナイヨ。
たまに湯船に浸かるときは、ジップロックに入れたiphoneをお供にKindleやらを読んだりするのですが、バッテリーが切れかかっていたため、その日は手ぶらで。
なーんにも考えずに湯船に使っていると、、、
「この感覚は、湯船の中に浸かっている時の感覚です」
と言われたのを、ふっと思い出しました。


先ほどの言葉を言われたのは
座禅をした時に、事前説明をしてくださったお坊さんです。

ちょっと前に、建仁寺の塔頭の一つ、両足院で、座禅体験をしてきました。
→両足院のHP:http://www.ryosokuin.com/

座禅体験の際に、お坊さんが仰ったことは
座禅をする目的は、ただ何も考えず座っていること。 
なんだそうです。
もうちょっというと「今自分が生きていることを、ただ感じること」なんだとか。
修行僧じゃない人向けにアレンジされているのかもしれませんが。
座禅を実際にしてみると、いろんな考えが巡ります。
僕の頭には、クリスマス独りで孤独死しないかどうか心配とか、美味しいケーキ食べたいなど雑念ばかり浮かびました(もちろん嘘ばっかりですよ?)。
ですが、長く生きていればそういう雑念が浮かんで当たり前だそうで、座禅をするときは、そういった雑念は、あるんだ、そうなんだな、と受け止める。レリゴーじゃないですが、ありのままでOKと。
とはいえ僕は、そういうメンタルに持っていくのが、わりかし苦手で、座禅をした時も、ありのまま自分を受け入れるというのが上手く出来たかというとそうでもなかったかなとは思っています。

横道に反れますが、その時の座禅においては、
特に足を組まないといけないとか、眼を閉じないといけないとかいう制約はなくて、
  • 体が不安定にならないような足の組み方をしたり、
  • 自分が不要な思考をしないように、胸を適度に張ったり(猫背だと、物理的にストレスが掛かるため、長時間猫背だと、背中いてーな、といった感じの不要な思考をしてしまう)、
  • 眼は閉じずにうっすら開けておく(閉じると思考が巡りすぎてしまう、何も考えないように適度に遠くを見る)
などなど、体をリラックスさせることで、ありのままの自分と向き合える準備ができる、リラックスした体と向き合うことで、自分の心もリラックス出来る、思考が澄み渡るということを言われてました(だいぶ僕の意訳が入っていますが)。


あと、バシーンって叩かれるのは、よっぽどの事がない限り不意打ちでされることは無くて、雑念が消えずに思考が淀んでいる時に、所定のポーズを取ることで、叩いてもらうことが出来ました。叩いてもらうことで、乾いた痛みが発生して、痛みによって一時的に雑念を消すことが出来ます。これは不思議ですがホントの話です。
そういった座禅の目的や、坐禅中の心と体の状態について説明されている時に、体にストレスがない感覚の例としてお坊さんが仰ったのが
「湯船に浸かっている時」の感覚
ということでした。

僕の場合、湯船に浸かることが少ないし、浸かっても誰かと話をしていたり、iphoneで必死にテキストを読んだりしてたわけですが、湯船に浸かって瞑想に近い状態になれるのなら、(瞑想することが習慣づいてないのもあるので)瞑想がてらゆっくり湯船に入る時間を取ってもいいのかなぁと思ったりました。

湯船に入らない方や、お子さんと一緒に入るからそれどこじゃねーよって方もいらっしゃるとは思いますが、一度、湯船で瞑想、いかがでしょう?
僕としては、冬場ということもあり、ガス代が気になるところですが、ちょっと続けてみようかなと思っています。

最後に座禅体験についての情報を少し。
私が行ったのは、両足院というところ。
祇園にあります。

私が行った時は、外国人の方も沢山いてはって、宗教は問わないと思います。
1000円ほど、お金をお納めして、説明や実際の座禅体験を行うことで約1時間。
開催日時はHPで確認してください。

ではでは。

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